夏目漱石「坊っちゃん」を読んで
みなさんお久しぶりです。マサオです。
しばらく更新できなくて申し訳ないです。
仕事が一通り落ち着きましたので、これからはもっと本を読んで、毎日更新目指しますよ!
あらすじというより、ビックリしたことと共感したことを書いていきたいと思います。
この「坊っちゃん」は、主人公「おれ」を指しているのですが、この主人公は数学教師として四国に赴任します。
教員!!
ということで、話に入りやすい作品。
ただこの作品、教師としての話、子どもとの触れ合いではなく、その周りの人たちとのドタバタがメインです。
少なからず教員としての話もあるので、あえてそこにフォーカスしてみたいと思います。
○まずは共感したこと。
「坊っちゃん」の中でこんな話があります。
主人公「おれ」がある蕎麦屋を訪れ、蕎麦と天麩羅(てんぷら)を4杯平らげるのですが、そこには学校の生徒がいました。
「翌日何の気もなく教場へはいると、黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。」
「次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。但し笑うべからず。と黒板にかいてある。」
「次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末に終えない。」
町の蕎麦屋に行って、蕎麦と天ぷらをたらふく食べただけで、子どもの標的に。こちらからしたら、自分の金で蕎麦を食べて何が悪いと思いますよね。
この状況、痛いほどよくわかります。
私も、勤めている場所の近くのイオンで帽子を買ったのですが、それを生徒に見られていたらしく……
翌日から子どもに幾度となく質問責めに遭いました。
いや、帽子買っただけで…と思うのですが、生徒はそういう理屈は関係ないんですよね。
面白いと思ったことが、翌日の話のネタになるのです。特に教員という職業は標的にされやすい。
黒板に書かれるとかはないですけどね。笑
しかし私はその後、近くの町で買い物をするのをぱたりとやめました。
「坊っちゃん」ではその後も、住田という町に行き、温泉帰りに団子を食べたのですが……
「今度は生徒にも逢わなかったから、誰も知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二皿七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払った。どうも厄介な奴等だ。」
再びネタにされることとなります……
私も土日、部活で出勤したときに、カップラーメンを職員室で食べていたのですが…
それを部員に見られ、イジられたことがあります。
お前らのために休日返上して、働いとるんじゃ〜〜!!と思ったことがあります。
何気ないシーンですが、同じ職業として、共感せざるを得ないところですね。
いつの時代も、子どもは変わりませんね ┐(-。ー;)┌ヤレヤレ
○次にびっくりしたこと。
「いくら月給で買われた身体だって、あいた時間まで学校へ縛りつけて机と睨めっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんな大人しくご規則通りやってるから新参のおればかり、だだを捏るのもよろしくないと思って我慢していた。帰りがけに、君何でもかんでも三時過ぎまで学校にいさせるのは愚かだぜと山嵐に訴えたら…」
さ、三時…??
この当時は部活がないにしても、三時に帰れないと文句を言うのか…?
この頃の教員は、今の外国の教員と同じように、授業だけすれば問題ないものなのか?
そのかわり宿直というものが輪番制であるようですが、それにしたってなんと環境がよろしいことか。
確かに、いくらお金をもらっていても勤務時間を超えて机と椅子に縛り付けるなんてアホらしい。
そう言える自分でありたい……。笑
以上、教員という立場から見た「坊っちゃん」でした。
作品自体は、昔の文学とは思えないほど軽快なテンポで物語が進み、ボリュームも多くなく、言葉自体も読みやすいです。
ライトな分量と、テンポの良さで、漱石の作品にしてはだいぶ読みやすいと思いますので、ぜひ一読を!!!