太宰治「雪の夜の話」を読んで
どうも、マサオです。
今日のなんと寒いことか……
こんな日には「雪の夜の話」でも紹介しましょう!!
太宰治って「人間失格」とか「斜陽」が有名ですから、きっと暗い作家だと思う人って多いんじゃないですかね?
まぁたしかにそうなんですけどね…
しかし、今回は結構ロマンチックなお話。
登場人物はしゅん子(主人公、読み手)と、そのお嫂(ねえ)さん、兄さんの3人です。
しゅん子は学生、お嫂さんは妊婦、兄さんは40近くの売れない小説家です。
ある雪の日の朝、しゅん子は学校の帰りに叔母さんからもらったスルメを、お嫂さんにプレゼントしようとします。
お嫂さんは妊娠してから、やけにお腹が減るようになり、スルメを食べたいとつぶやいていたのをしゅん子は覚えていたのです。
しかし、家に帰る間際で、スルメを落としてしまいます。
探しても一面雪景色。石ころ一つ見えないほど雪が積もっている中で、スルメを見つけることは困難でした。
溜息をついているしゅん子。しかし、こう思い直します。
「この美しい雪景色を、お嫂さんに持って行ってあげよう。」
「たべものなんかにこだわるのは、いやしい事だ。本当にはずかしい事だ。」
兄さんは、両親がいないというのに、買い物もせず、近所付き合いもなく、家のことはなにもしてくれない人で、しゅん子に嘯くこともよくありました。
しかし、あるお話だけは、しゅん子は信じていました。
むかし、デンマークの或るお医者が、難破した若い水夫の死体を解剖して、その眼球を顕微鏡でもって調べその網膜に美しい一家団欒の光景が写されているのを見つけて、友人の小説家にそれを報告したところが、その小説家はたちどころにその不思議の現象に対して次のような解説を与えた。その若い水夫は難破して怒濤に巻き込まれ、岸にたたきつけられ、無我夢中でしがみついたところは、燈台の窓縁であった、やれうれしや、たすけを求めて叫ぼうとして、ふと窓の中をのぞくと、いましも燈台守の一家がつつましくも楽しい夕食をはじめようとしている、ああ、いけない、おれがいま「たすけてえ!」と凄い声を出して叫ぶとこの一家の団欒が滅茶苦茶になると思ったら、窓縁にしがみついた指先の力が抜けたとたんに、ざあっとまた大浪が来て、水夫のからだを沖に連れて行ってしまったのだ、たしかにそうだ、この水夫は世の中で一ばん優しくてそうして気高い人なのだ、という解釈を下し、お医者もそれに賛成して、二人でその水夫の死体をねんごろに葬ったというお話。
しゅん子は家に帰り着くなり、お嫂さんに
「あたしの眼を見てよ。あたしの眼の底には、とっても美しい景色が一ぱい写っているのよ。」
きっとしゅん子には、先ほどの美しい雪景色がまぶたに焼き付いていると信じて疑わなかったのでしょうね。
あたたかい少女の優しさが、涙を誘います。
スルメをなくしてしまった悲しみ。せめて景色をプレゼントしようとするけなげな様子…。
それに対してお嫂さんは、「かなしそうな顔をして、黙って私の顔を見つめていました」
言葉にできないほどの感情だったのでしょう。
哀れと思ったか、愛しいと感じたか、言葉以上の衝撃を受けたのでしょう。
物語全体にあたたかい空気が流れている作品ですよ。なんだか泣きそうにもなります。優しく穏やかな文章なのですが、どこかせつなさを感じるんですよね。
ぜひご一読を!
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