森鷗外「高瀬舟」を読んで
こんばんわ。
なんか毎回19〜21時に更新してるなぁと思う今日この頃。
別に意識はしておりませんが、書き終わるのがちょうどこの時間帯なんですよね。
当時の私には難しかったですね…笑
冒頭文が、
「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと靜にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。」
ですよ。
読みづらっ!!!!!!(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-
ということで、当時は最後まで読み切れず、鷗外を敬遠していた過去があります。
ただ、これからご紹介する「高瀬舟」は全く読みづらさはございません。
むしろ読みやすいといっても過言ではないと思います。
文体、リズム、展開、どれを取っても難しいものはございません。
さぁさっそくご紹介。
あらかじめ申し上げますと、この「高瀬舟」のテーマは、
◎財産
◎安楽死
です。
鷗外自身が「高瀬舟縁起」という「高瀬舟」の解説書でこう述べているのです。
あらすじは以下の通りです。
徳川時代、京都の罪人が島流しを申し渡されると、高瀬舟に乗せられて、大阪へ行くことになっていました。
当時、暇乞いといって、罪人の親類が大阪まで見送ることができることになっていました。
大阪まで行く道中、この罪人と親類は夜通し身の上を語り合うというのが常でしたが、30歳ばかりになる「喜助」という男は、親類も連れずに大阪まで島流しをされることとなりました。
罪は「弟殺し」。
喜助の護送を命じられた役人の羽田庄兵衛(しょうべえ)は、驚きました。
島流しというと、悲惨な境遇に嘆き、自分の行く末を案じて、涙を禁じ得ないものですが、この喜助はというと、見るからに口笛や鼻歌を歌い出しそうな様子なのです。
そこで、堪えきれずに聞いてみます。
「喜助。お前何を思っているのか。」
「己(おれ)はこれまでこの舟で大勢の人を島へ送った。それは随分いろいろな身の上の人だったが、どれもどれも島へ往くのを悲しがって、見送りに来て、一緒に舟に乗る親類のものと、夜通し泣くに決まっていた。それにお前の様子を見れば、どうも島へ往くのを苦にしてはいないようだ。一体お前はどう思っているのだい。」
喜助は、なぜ島流しという罰を楽しんでいたのでしょうか。
理由は、
これまで大金を持ったことがなく、毎日の生活もギリギリで困っていたが、島流しの際に二百文もらえたので嬉しい。
というもの。
「わたくしは今日まで二百文と云うお足(金)を、こうして懐に入れて持っていたことはございませぬ。」
「わたくしはこの二百文を島でする仕事の本手にしようと楽しんでおります。」
一方、庄兵衛は役人として働いても家計は苦しいままで手一杯の生活。
お金持ちの妻がいるのですが、この妻が自分の知らぬ間に、家計の足りない部分の帳尻を合わせてくれていました。
庄兵衛はそのことに気付いているのですが、負い目に感じており、知らんぷりをしています。
そんな生活に対して
「そこに満足を覚えたことは殆ど無い。」
と述べています。
庄兵衛はこのような身の上なので、喜助の姿に驚きと敬意を持って見つめます。
喜助は二百文でも
「生れてから知らぬ満足を覚えた」のに対して、
庄兵衛は、自分にはないもの欲しがります。
人の欲には限界がありませんからね。
そんな喜助の生き方に感銘を受けたのでしょう。
庄兵衛はさらに、弟殺しをした理由を聞きます。
喜助と弟とは二人三脚で歩んできましたが、不治の病を悩む弟は、兄に楽をさせたいという理由で自殺を図りました。
しかし、死ぬことができなかったのです。
そこで、苦しむ弟は「一思いに殺してくれ」と懇願します。
兄である喜助は思いっきり殺してあげたのです。
それをたまたま近所の婆さんに見られ、島流しに…という流れ。
庄兵衛はこの話に疑問を抱きます。
これは人殺しだろうか?
「喜助はその苦を見ているに忍びなかつた。苦から救って遣ろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。」
なんだか腑に落ちないまま、ストーリーは終わります。
まぁ確かに、答えがあるような課題ではないですからね。
ただ鷗外は、「高瀬舟縁起」でこうまとめています。
「これはそう容易に杓子定木で決してしまわれる問題ではない。」
とした上で、
「たとい教えのある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦しみを長くさせておかずに、早く死なせてやりたいという情は必ず起こる。」
喜助の感情は至極当然のものであり、人殺しというには忍びないという意見。
「従来の道徳は"苦しませておけ"と命じている。」
さぁ、みなさんは安楽死に対して肯定的ですか?否定的ですか?
答えはありませんが、「高瀬舟」を読むことで、安楽死に対する考えががらりと変わるかもしれません。
ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。
「高瀬舟」、ぜひご一読を!!