国語科教員の「太宰治」と文豪たちのブログ

國學院大學日本文学科卒業の現国語科教員マンが日本の文学についての知識をお届けします。神話・随筆・物語…単純に本の紹介なんかもします。日本語に関する記事も載せていこうと思います!ぜひ読んでね!

中島敦「名人伝」を読んで

こんばんわ。マサオです。




突然ですが、みなさんはなにか極めようとしていることってありますか??



スポーツ?お酒?語学?ガンプラ?仕事?ゲーム?美容?ブログ?





うんうん…!!





やはりブログと答える人が多いですねぇ!(空耳)



これから紹介するのは、"弓"を極めようとした紀昌(きしょう)という人のお話。



天下第一の弓の名手となるべく、紀昌は、飛衛(ひえい)という人物の元に弟子入りします。




ここから、飛衛による厳しい特訓が…!!!








始まったわけでもないのです。


飛衛はまず







「瞬きをするな」という訓練をさせます。



まぁ、ある意味厳しいか。笑



そこで紀昌は、2年もの間、瞬きをしない訓練を行います。瞼はついに、瞬きをする意義、使う筋肉を停止させます。



恐るべし。



寝ているあいだでさえ、紀昌の瞼が閉じられることはなかったそうです。


f:id:masaomisae:20181216220559j:plain



こんな感じですかね??狂気ですよ。



さらには、まつ毛とまつ毛の間に蜘蛛の巣が張るほどに。





いや…






汚なっ!!!!!!笑





まぁ、でもそこまで極めた紀昌の粘り強さが半端ではないですよね。





そこで、自信を得た紀昌は、再び飛衛の元を訪ね、この旨を報告しました。





そしたら次は、

「瞬かざるのみではまだ射を授けるに足りぬ。」

と言われます。




ごもっともです。瞬きしないだけでは弓は上達しません。




そして次は、

「視ろ!」という訓練をさせます。笑





小さいものを見続けて、それが大きいもののように思えてきたら、また来いというわけです。





無茶苦茶すぎ(・Д・)








そこで紀昌は、虱(しらみ)をひたすらみ睨み続けることにしたのです。







気持ち悪すぎて自分には耐えられないです……。






そうすると、どんどん大きく見えるようになってきます。



そして、三年虱を睨み続けます。








もう、頭おかしいって。






そうすると、(やはり頭がおかしくなったのか)虱は馬の大きさくらいに見えるようになってきたのです。





そこで、よし!と躍起になった紀昌が外に出てみると、



「人は高塔であった。馬は山であった。豚は丘のごとく、」



あらゆるものが大きく見え、さらにいい気になった紀昌は、虱に向けて矢を射ると、その矢は虱の心臓を貫いたそう。




ちなみに、
虱は2〜4mmだそうです。







心臓は1mm以下でしょうね。


その心臓を貫けるって……












矢ちっちぇーな!!!!!!







飛衛にこのことを報告すると欣喜雀躍、弓の奥義をついに伝授し始めます。





紀昌はそれからどんどん上達していき、ついに!!




妻と喧嘩したときに、妻の目を射ったが、
「矢は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。」







いや、射られたほうが気付かないってのもすごいけど……










妻と喧嘩しただけで妻を矢で射ようとする紀昌のサイコパスっぷりが印象に残る………




そんなこんなで弓を極めた紀昌は、飛衛の元を離れ、甘蠅(かんよう)老師という人物の元へ。




どうやらその人物が天下第一の弓の達人であるらしい。甘蠅からすれば、紀昌や飛衛の弓はまだまだ子どもの遊びだという。




そして甘蠅の元を訪れ、腕を見せつけるために、渡り鳥を射落とします。





「一通り出来るようじゃな、と老人が穏やかな微笑を含んで言う。だが、それは所詮射之射というもの、まだ不射之射を知らぬと見える。」






射の射とは、弓を用いて射ること。






随分当たり前ですよね。







しかし、不射の射とは、弓を用いずに射ることなんです。


















ん???







そこで甘蠅は、空に飛んでいる一匹の鳥を、無形の弓で射落としたのです。



弓も矢もありませんが、見えざる弓と矢で射落とします。





これには紀昌もビックリ仰天。






9年ものあいだ、この甘蠅の元で修行することに。






そして故郷に戻ってきた紀昌に人々はこれまたビックリ。




あの負けず嫌いな紀昌の面影はなく、






ただただ無表情。



「木偶のごとき顔は更に表情を失い、語ることも稀となり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至った。」






その後、40年後に紀昌は亡くなるのですが、弓のことを一切口にすることがなかったそう。


それだから、弓矢の神業を人々に見せるはずもなく。






そのまま特別な武勇伝もなく死んでいく紀昌。













(せっかく修行したのに)





しかし、物語は終わりません!!








最後にこんな話が伝わっています。




紀昌が、ある友人宅に招かれて行ったところ、あるものが目に入りました。







「なんか見たことある……でも名前も用途も思い出せない……」




そこで、友人に聞いたわけです。








「これ何??」って。






友人は、狼狽してこう叫びます。





「ああ、夫子が、――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」







不射と射を極めすぎたが故に(?)、弓矢という存在も使い道も忘れ果ててしまっていたのです。






こんなお話ですね。

文章自体は少し古臭いので、読みづらいところがあるかもしれませんが、本質を読み損なうことありませんので、ご安心ください。



展開も展開も見事。さくさく読める上に、短編小説なので、一日の空き時間に十分読めます!










もしかしたら、ブログを極めた先には、ブログもブログの用途も忘れ果てることが……?









ねぇわ!!!オイッ!!( ´Д`)っ))Д゚)・∵.




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。