太宰治「十二月八日」を読んで
どうも、マサオです。
記事はタイトルの通りなんですが…
昨日書けば良かった!!
今日は十二月九日…八日に書いたら同じ日だったのに、もったいないことをしてしまいました…。
ま、そんな懺悔はさておき、この「十二月八日」のあらすじと読んだ感想を述べたいと思います。
この作品は、太宰治の妻、美知子夫人がモデルとなっています!
美知子夫人はこの作品について、
長女が生まれた昭和十六年(一九四一)の十二月八日に太平洋戦争が始まった。その朝、真珠湾奇襲のニュースを聞いて大多数の国民は、昭和のはじめから中国で一向はっきりしない○○事件とか○○事変というのが続いていて、じりじりする思いだったのが、これでカラリとした、解決への道がついた、と無知というか無邪気というか、そしてまたじつに気の短い愚かしい感想を抱いたのではないだろうか。その点では太宰も大衆の中の一人であったように思う。 (Wikipediaより)
と語っています。
この通り、この作品は77年前の1941年12月8日、太平洋戦争が始まったときの日記となっています。
戦争が始まったときの婦人がどのように過ごしていて、戦争に対してどんな感情を抱いていたかを知ることができるという意味では、大変貴重な資料になりますよね。
実際、本文冒頭にも、
きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。(中略) わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。だから文章はたいへん下手でも、嘘だけは書かないように気を附ける事だ。
と書かれています。後世の私たちに読んでもらおうという意気込みが感じられます。
この年の6月に生まれた娘の園子に乳をやっていると、
「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状勢に入れり。」とラジオから流れてきます。太平洋戦争勃発の瞬間ですね。
そのときの気持ちを、「強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは精霊の息吹きを受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。」と綴っています。
透明な感じとか花びらを宿したような感じというと何か清々しさを感じるのですが、戦争に対してそこまで恐怖心は感じなかったのですかね。ただ"つめたい"という形容詞が、この出来事を俯瞰的に眺めているような感じを受けます。なんにせよ、強い衝撃を受けたことは確かなようです。
そのあとすぐに主人(太宰治)に報告をしに行ったり、「私は園子を背負って田舎に避難するような事になるかも知れない。」と綴っているように、些少の緊張感はあったのですね。
しかし、「私たちは平気です。いやだなあ、という気持は、少しも起らない。こんな辛い時勢に生れて、などと悔やむ気がない。かえって、こういう世に生れて生き甲斐さえ感ぜられる。こういう世に生れて、よかった、と思う。ああ、誰かと、うんと戦争の話をしたい。やりましたわね、いよいよはじまったのねえ、なんて。」
日本の女性は強いです。敵愾心もあるでしょうが、威風堂々とした気概を感じます。
対して太宰治は、立ち上がっては座ってを繰り返し、落ち着かない様子であったそう。
何とも対極な反応でおもしろい(笑)
そして、やはりその日は重大なニュースが続々と舞い込んできます。
比島、グアム空襲、ハワイ爆撃。
夕刊には「帝国・米英に宣戦を布告す」という大きな活字。
その度に美知子夫人は感激を露わにします。
当時は戦争をして、鬼畜米英をこてんぱんに倒してほしいというムードがあったのでしょうね。上層部は賛否両論だったようですが。
少なくとも婦人はそう感じています。
戦争時と今じゃ、ものの見方・考え方、価値観、なにもかもが違うのでしょう。戦争=感激とはなりませんよね…。
最後のシーンは、園子を銭湯に連れていくシーン。
お湯に入れたときの園子を「足といい、手といい、その美しいこと、可愛いこと、どうしても夢中になってしまう。」と表現。
ここには母親としての美知子夫人が描かれていますが…やはり親が子を想う気持ちは現代と何ら変わりがないようです。
ずっと園子を抱いていたいという記述も出てきます。
なんとも、戦争に対して前向きな美知子夫人とは対照的な、素朴で純情な人柄が描かれています。
また、その真夜中の帰り道、背後から歌いながら乱暴な足取りで近づく一人の男がやってきます。それは夫である太宰治なのですが、それに対して夫人は、
「園子が難儀していますよ。」
と敬遠します。
「どこまで正気なのか、本当に呆れた主人であります。」
と最後で締めくくっていますが、太宰治の頼りなさ、自由奔放さ(というより勝手気儘な様子?)と、園子を心配する母親の愛情が如実に表れています。
この作品、戦争時の街中のイメージがこんな風だったのかと知識として知ることができます。また、当時の人は戦争に感激を抱いていたという現代とは真逆の考え方、それに引き換え、母親が子供を想う共通の考え方。夫を小馬鹿にしたようなユーモラスな描き方も加わった作品だと感じました。
小説で14ページの、さらっと読める短編です。ぜひご一読を!
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