竹取物語は実話が元に!?
どうも、マサオです。今宵も酷寒この上ないですね…。
突然ですが、皆さんご存知でしょうか?
あの「竹取物語」は実話を元に作られていると言われているのですよ!
神話とかって全てが想像の産物なのではなくて、何かモデルの人物や出来事があって、それを神話にしていることがままあることなんですよね。天照大御神然り、八岐大蛇然り…
今回ご紹介する竹取物語も、実在の人物がモデルとなっているのです!また、作られた意図も当時の世相を生々しく反映させています。
さぁ、まずは竹取物語のプロフィールから簡単に。
『竹取物語』(たけとりものがたり)は、平安時代初期に成立した日本の物語。成立年、作者ともに未詳。
(Wikipedia引用)
謎が多い書物なんですよね…。でもこの謎が逆に魅力を引き立ててロマンを感じさせます笑
それでは本題へ。
この竹取物語は、一体何を意図して、誰をモデルとして書いたのか。
歴史上には、「かぐや姫」という名を持つ女性がいるのです。
奈良時代の書物「古事記」によると、日本の第十代天皇である崇神天皇の妃が迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)という名だそう。
ちなみに、叔父さんの名前が、讃岐垂根王(さぬきのたりねのおおきみ)…物語上のかぐや姫の第一発見者で育ての親がさぬきのみやつこ…
曽祖母の名前を丹波竹野媛(たんばのたけののひめ)といいます。竹から生まれるかぐや姫…
なんかもう、成立年代から考えても作者は古事記をヒントにして書いたとしか思えませんよね……かぐや姫という名前に関してはぴったり一致してますし…。
さらにそのかぐや姫は、あまりの美しさから求婚者が殺到します。
しかし、かぐや姫は求婚者に難題を出し、それに答えられたものとしか結婚しないという傲慢ちきなことをしちゃうんですよね。
その中で、富や名声でなんとしてもかぐや姫を娶りたいという貴族が五人残ります。
石作の皇子、倉持の皇子、右大臣阿部御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂足です。
彼らはかぐや姫に求婚を迫りますが、悉く失敗します。しかし、彼ら貴族は笑い者にされるように作者が意図していたのです。
どういうことかというと、石作の皇子は丹比真人島、倉持の皇子は藤原不比等、右大臣阿部御主人には阿部御主人、大納言大伴御行には大伴御行、中納言石上麻呂足には石上麻呂がモデルとされています。
全員が貴族です。
作者がこのように構成したのは、時の藤原政権を批判するためだという説があるのです。
お姫様が人間的に成長して、月へ帰る。そんなロマンチックなお話を伝えたいのではなく、体制批判が内部に潜んでいるのです。
そう考えると改めて、竹取物語の作者、すげ〜〜!!!
だって体制批判する意図を持って、古事記の人物構成から、こんなロマンチックな話に仕上げちゃうんですよ??すごすぎないですか??まだ教育も浸透していないころに、この教養はすさまじいですよね。
やっぱり日本文学、いとをかし!